お地蔵さま祭り

金石地蔵尊祭[きんせきじぞうそんさい]徳寿寺
徳寿寺は、福井県永平寺を本山とする曹洞宗の寺です

金石地蔵伝説

 宮島に住む夫婦が、年老いて子どもがいないのを愁い、子どもを授かるように仏様に祈り続けていたら、ある夜、夢の中に

『上川の竹林の辺りに光明が輝いているのを見て不思議に思い行ってみると、石の地蔵尊がありました。お地蔵様を一心に拝んでいると、菩薩様が一子授けるとおっしゃった。』

 夢から覚めて、不思議なことに夫婦が同じ夢を見たことに驚き、竹林に行ってみたところ、石の地蔵尊がありました。
 正夢だったので、菩薩様のお告げは間違いないと信心を重ね、一心にお祈りをいたしました。
 すると、いつとなく身ごもり、男子を出産いたしました。

 子は成長し、類い希なく大きな体になり、広島藩主お抱えの力士となりました。

 夫婦は、深くこの地蔵尊に帰依[きえ]し、正徳5年(1715)に御堂を創建し地蔵尊を安置いたしました。信心する人々が絶えることなく、いつの頃からか、石仏が金像となり、金石地蔵尊と称するようになりました。
 これが、上川徳寿寺ご本尊の金石地蔵伝説です。


子授け地蔵として知られる御本尊“金石地蔵尊”の年一度の御開扉です

お地蔵さまは閻魔様の化身と聞き、今のうちに言い訳の一つでもしておこうかと思いましたがすべて御見通しでした

法要の後に誓真さんの紙芝居がありました

僧誓真[せいしん]は、広島で米屋を営んでいましたが、一念発起、宮島光明院で仏門に入り了単[りょうたん]上人の導きを受けました。当時から島には多くの貴人・文化人・商人・参拝客が訪れていましたが、これという宮島の産業がないことを嘆き、弁財天の琵琶をヒントに杓子を考案して島民に教え普及いたしました。
また水不足を解消するために井戸を掘り(誓真釣井)、雁木[がんぎ]を造るなど宮島の恩人の一人として今でも慕われ、光明院の近くにはその遺徳を称え誓真大徳碑が建立されました

誓真さんは しゃもじを考案され、島民に製造法を教えてくださいました

誓真さんは、日照りで苦しむ島民のために井戸を掘ってくださいました

脳ってすごいな・・・
確かに右から斜めに絵を見ていたけれど、記憶に残っている絵は正面から見た物だよ
写真ってすごいな・・・


恐れ多い事に、お接待のお弁当を頂きました



続いて、島内各所の地蔵堂で併せて行われているお地蔵さん祭りを巡ります


誓真地蔵尊(港町のお地蔵さん)宮島の恩人“誓真さん”をお祀りしてあります


善哉川地蔵尊(魚之棚町のお地蔵さん)
お薬師さんがお祀りしてあります
山手の地蔵堂から8月24日の前に町内の人たちが麓の屋台に移しお祭りが行われます
百万遍と呼ばれる数珠繰りが16:45から行われます

こちらが、いつもいらっしゃる北之神社傍の地蔵堂です


延命地蔵尊(桜町のお地蔵さん)
お供え物、飾りを整えた心の篤さによそ者の私は圧倒されたけれど、
ちゃんと私にも寄り添って下さっている事に気づいたよ


道祖地蔵尊(大西町のお地蔵さん)


岩惣のお地蔵さん
お地蔵さんマップには無いけれど、この日は岩惣のお地蔵さんもお参りできると聞いて訪ねました
が・・・前の日にお掃除をしていた方が雀蜂に刺され、ただ今駆除の依頼中で立ち寄れないとの事で遠くから・・・

いつも有難うございます
これからも宜しくお願い致します

お接待のお弁当〜♪
こんな素敵な場所で頂きました

おむすび弁当でした〜背後から忍び寄る鹿に怯えつつ・・・


岩惣の玉氷もふわっふわで美味しかったです♪
(大正時代に作られた大きな板ガラスです)

マンゴー味にしようと決めて行ったのに
ダジャレに弱い私は・・・ついつい