鷹ノ巣高砲台跡

明治30年(1897年) 祖父が9歳の時
ロシア帝国に侵略されることを恐れ、自国防衛(広島・呉を守る)のために宮島の鷹ノ巣山
28cmの榴弾砲6問の構築が開始される
周囲には石造りの砲側庫や地下式の弾廠作業所装薬調整所などがあり
低砲台へと続く尾根筋の通路途中には砲兵指令所・観測所・通信所などの跡がある
地下兵舎(600余名配置)のわきにはトイレ・炊事場・井戸の跡が残っている

大正15年(1926年)
8月広島湾要塞が廃止される(防衛の拠点を下関に移したため)

植物観察も兼ねているので、テキストを手に包が浦を出発です


登山口に向かう
公園の広場はイノシシに荒らされています


昨夜の雨が朝の光に照らされながら空に登って行きます


一時登れば


後は、コシダの繁るなだらかな尾根道です


到着!!

榴弾砲は2問一組とし それを囲んですり鉢状に土盛りされています
その向こうに海


演習の写真を見ながら学習会〜♪


石段を登り土盛りの上に上がると


歩兵の通路になっています
もちろん当時は木は生えていませんでしたよ


砲側庫の煉瓦はフランス製を模倣して、呉で焼かれたもの


地下兵舎脇に3mの高さの石垣があります

トイレ

井戸


左、地下に砲台長室があり


入り口近くの壁には 砲台に向かう石段へと伝声管が埋め込まれています
(今も使えました・・・はい、遊びました^^;)


砲台長室の上に方位観測所が


入浜が見えます(今は木が茂っていますが・・・絶景だったことでしょう)

絵の島(無人島)奥に江田島

この海域を今は呉の潜水艦等が通ります
もしも、バルチック艦隊がここを進軍していたなら・・・私はロシア語でブログを書いていた?
たった100余年前の出来事なのに遥か昔の歴史の中に思える


連隊長指令室


地区砲台司令室

下りは軍用路をたどります
程なく海軍省の文字が刻まれた石柱


包が浦
日露戦争の戦利品がこの浜に陸揚げされたそうです
大正15年に砲台は廃止されれたものの、この浜は重要な軍事施設として
昭和20年まで一般の人は立ち入り禁止だった
今は、海水浴・キャンプ・ケビン・バーベキューの設備が整っています




探検終了〜♪
包が浦のバーべキューハウスは純和風
出入り口に鹿除けの柵があるよ
宮島らしいねぇ〜


やっぱり青空が良いね〜最近雨続いたもんね・・・
「お日様ありがとう〜♪」


吹かれて、割れて、倒れても・・・芽吹く!!


包が浦から桟橋までは歩いて40分
舗装路を歩くの嫌なので、島の友人に自転車を借りました
自転車に乗るのって、あの管絃祭の夜以来(2011年だったから3年ぶりだ!!)

風を切るって気持ちいいね〜
桟橋近くの牡蠣カレーパン屋さんで今回は“珈琲あんぱん”をお土産に買いました
あんこと珈琲クリームが入っています・・・美味!


自然に手を加えることは いけない事かも知れないけれど、レンガを崩して育つ木々を見ると
このまま崩壊に任せるのは惜しいと思いました

パークボランティアの皆さんがお掃除されていますが、もちろん植物の伐採、採集は禁止されています